神戸 bar DYLAN マスターの音楽プログ


by bar-dylan
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レオン・ラッセルという名は子供の頃から知っていた。叔父のカーステレオから流れてくる、彼自身の「ソング・フォー・ユー」は異彩を放っていたし、ジョージ・ベンソンの「マスカレード」はいつも大人の音楽を感じさせた。スワンプ・ロックの雄である彼の素性を知るのは、ずっと後のことである。叔父は少しも言葉で音楽を語った事はない。Bar Dylan を始めるときに聞かなくなったレコードの全てをなんの惜しげもなく私にくれた。そんな叔父が聴いていた青春の音楽が、すべて今の私の始まりである。
あの頃、レオン・ラッセルに会えると思えるはずがない、遠い過去の偉人だと感じていたし、死んでいるかも知れなかった。2005年心斎橋クラブクワトロに現れた彼はまさに亡霊でもおかしくなかった。亡霊でないことを確信したのは、デマチをして地下の駐車場でそんな彼と握手した時だった。妻は滞在先のホテルを聞き出そうとしてくれていた。レイラさんは彼に抱きついて離しそうにもなかった…。レコードを持っていけばよかったなんて思わない、この記憶が私の宝物。
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# by bar-dylan | 2008-07-23 16:52 | Live report
お店のHPを圧縮したいが為に始めようと思ったこのブログ。いざとなってみると、過去のデータも紹介したく、結局、思い出話も兼ねて書きなおしてみることにする。
エリック・アンダーソンが我がBar DYLAN へやってきたのは2005年9月8日、もう三年ほど前の事になる。旧チキンジョージでのライブの帰り際、アルバム"Blue River"にサインをもらい、Bar Dylanの名前に反応したエリックにすかさず名刺を渡す。「近くですので、うちあげに是非使ってください」と大先生が流暢な英語で言う。すべてはレイラさんの指揮の下、作戦は無事に遂行された。あとは結果を待つしだい。
まさか、それでもくることはないと諦めた余市の父さんは「あばよ…」と帰宅。まあ我々も半信半疑のまま、とりあえずBar ON THE ROAD で感想戦。ドアをあけると"Blue River"がまさに流れている…、マスター、なんてニクイ演出なんだろuか。お酒はほどほどにして、「そんなまさか」に期待しながらBar DYLAN へ。
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扉を開けると、ムネオが「あっち」という目線を怪訝そうな顔をして送ってきた。奥の部屋に「まさか」のエリック・アンダーソンが座っている。おどろく私たちを彼が笑顔で迎えてくれた(普通は逆なのですが…)。
日本酒で乾杯(エリックのリクエスト)!もう何を話したのか、まったく覚えてない…。が、思い返してみても人生の記憶に残る夢のような一夜だったことは間違いない。

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# by bar-dylan | 2008-07-23 15:32 | Live report